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2011年9月5日月曜日

ボランティア派遣隊報告書

横浜南央地区ユース被災地支援部隊 
第二期ボランティア派遣隊報告書


1.活動目的

日本連盟が被災地域支援について、宮城県塩竃市から4月末に石巻市に拠点を移し、石巻市社会福祉協議会のボランティアセンターと連携して、家屋からの泥出し作業を中心とした活動を進めている。普段、飢餓や植林等への奉仕活動を行っている私達が「ちかいとおきて」の精神に基づき、現地の支援活動に従事する。また、宮城県石巻市での災害支援活動を行い、現地復興に貢献する。

2.活 動 日

■ 第二期 平成23年8月26日(金)~28日(日) 3日間

3.活動場所

宮城県石巻市福地 福地体育研修センター(旧 石巻市立大川第2小学校 跡)



報告書(PDF)は次からダウンロード: ボランティア活動報告




2011年8月31日水曜日

横浜第96団木村隆佑ベンチャースカウトの記録

先日開催された「第15回岩手連盟野営大会」に 「スカウトたい焼き隊」第11陣として、96団の木村ベンチャースカウトが奉仕しました。 この様子を含めた「報告書」を掲載します。報告書全体は、次のリンクからダウンロードして下さい(直接表示の場合は、下の報告書の画像をクリック)。


2011年7月22日金曜日

石巻災害復興支援協議会訪問報告 

                         災害支援チーム 砂川 敏三    
 
実施日:平成23年6月29日(水)~30日(木) 一泊二日
参加者:23団須藤、31団大津、87団鈴木令子、93団平山、96団鈴木幸一、116団宮崎
     116団砂川 、合計7名。  車両提供 大津、鈴木幸一両氏の2台。  
目 的:災害支援活動は今後長期にわたる事や、夏休み期間中にスカウト達が被災地に入りボランティア活動を行う動向が覗える事から、特に高校生年齢が安全に効果的な活動が出来る環境や現地のニーズなどについて調査する。

過日合同フォーラムで中橋氏(宮城県連理事)からご紹介を頂いた石巻災害復興支援協議会の大丸専務理事(スカウト関係者)へのお見舞いを兼ねて現地踏査を行う。

   これに先立ち鈴木幸一さんが現地までの高速料金が免除される災害支援車両の手続きをして頂き横浜新道以外の高速道路は往復無料となる。
   また、大丸氏からダニやハエが大量発生して苦しんでいる件や夏物衣服の不足を伺い、殺虫剤やTシャツを買い求め持参した。
   宮崎さんの奥様が厚意で準備した日用品多数を南三陸町の避難所へお届けした。

6月29日

6:30am横浜新道料金所を出発、指定ルート東名~首都高~東北道にて午後2:15分に専修大学5号館の同協議会に到着。現在もテント村が出来ており大勢のボランティアが活動されている。大丸氏に面会、現状と今後の支援のあり方などについてお話を伺う。


現在はニーズに従い             

1:復興マインド                6:マッドバスターズ(ドロかき出し)
2:メディカル                  7:漁業支援       11:生活支援
3:移送(送迎サポート)           8:心のケア
4:リラクゼーション              9:キッズ
5:炊き出し                  10:ダニバスターズ

以上の様に分類されてボランティアの受付を行っていた。

現在は日連の活動拠点は一時閉鎖されているが、再開後は組織としての活動を進める為には日連からの情報や活動内容に従って現地に入る事を奨められた。

特に被災地での活動がVS年齢まで拡大される事になるので、安全面や精神面などを考慮し、今後南央地区から派遣する場合は日連ルートが良いと実感した。
3:30分同協議会から閉鎖中ではあったが場所の確認のため日連の活動本部テントへ移動。偶然か石巻第6団副団委員長、石巻地区委員長菅野五郎氏がおられ、テント内部を見学する事ができた。専修大学から川を挟んで向かい側にあり、すぐ裏側では避難所の建設が進められていた。(野球場)



水は野球場から引かれている。大型テントには20~30人は宿泊できる。ドームテントも準備されている。滋賀県のリーダー2名が4~5日の予定でボランティア活動されていた。

4:20分鈴木幸一さんの案内で近隣被災地を視察し仙台市内へ移動。各料金所での渋滞で予定を過ぎて宿泊所へ。30日の活動予定について打ち合わせ。

6月30日

*宮崎、平山、鈴木(令)、大津チームは南三陸町方面へ

1:南三陸町ボランティアセンター    作業内容等についてヒヤリング
2:南三陸町仮設役場           避難所状況ヒヤリング
3:避難所 志津川自然の家       生活支援物資の引渡し、避難所状況ヒヤリング
4:神割崎キャンプ場            支援拠点視察
5:町災害対策本部支援物資担当    生活支援物資預託
    鈴木(幸)、須藤、砂川は石巻市立鹿妻保育所へ

鈴木(幸)さんの鯛焼きプロジェクトのお手伝いを行う。約200個のプレゼントが出来た。
この保育所でもハエの異常発生には大変苦慮されていた。

活動予定を全て終わり3:00石巻から帰路。
須藤さんは石巻駅からJRにて福島へ移動。JR事情について調査された。

以上の事を踏まえ、地区災害支援チーム会議やユース特別委員会との連携を図り、現地で災害支援活動を目指すスカウトや指導者に適切な情報を提供し、安全に長期的、継続的な支援活動を進めたいと思う。

2011年7月14日木曜日

みなさん、タオルをありがとう!!

今回の東日本大震災の被災地の方々に対して、「今自分たちが出来ること」を考え、いろいろな形で支援や奉仕などを行っています。

また、私たちは支援活動を通して、いろいろなことを学びました。災害普及時において、自立技能を持つスカウトの行動力とその成果にはすばらしいところがあります。しかし、一方では日々変化する被災地のニーズに適応しながら、救援物資などの善意が、必要なところに適切に届くように、最後までの対応を考え、見届ける努力が必要です。

規模的には小さな支援活動ですが、みなさんのご協力に加え、被災地のBS仲間、その間をつなぐ行動部隊とが一体となって、初めて効果のある結果を生み出しています。


今日は、その成果の1つをご紹介します。


【タオル隊プロジェクト】

関東地区のローバー有志にて発足したタオル集めプロジェクトは、1万枚以上のタオルやバスタオルを集めました。 集められたタオル類は、透明衣装ケースに分類して詰められ、各団や協力企業の倉庫などに集められ、その後、必要とする被災地の避難所や地域に、ほぼ毎週末運搬と配布を行いました。 その後も、タオル類は集められていますが、一部報道で問題となっているような、支援物資が途中で滞留したままにならないように、現地でのニーズを確認しながらの対応に変化しています。 また、タオルだけでなく、被災地が必要とする夏物Tシャツやくつした、石鹸など、その都度変化する必要品に合わせた支援物資を週末を利用して被災地に運んでいます。先週末も、被災地に向けて第6便のタオル隊が出発しました(詳細、掲示板参照)。

また、このタオル・プロジェクトは、北海道連盟のスカウトたちも企画して、さらに、8,000枚ほどが集まり、石巻の日連テントに送付されました。 これらのタオル類についても、横浜南央からのタオル隊が現地側と協力して、必要とする避難所や地域(病院や学校など)へ、運搬と配布を行いました。

タオル隊は、横浜南央地区からの参加者だけでなく、他県連からも参画した形で、被災地のBS仲間たちと連携しながら行動を展開しています。 現在、カバー出来る範囲や運搬できる支援物資などは限られていますが、参加協力者の輪が広がり、支援活動資金などが確保されることで、このような活動が拡大して行くことを期待しています。

                                   (横浜南央地区災害支援チーム記)




【現地側サポートの石巻6団五十嵐さんより】

5月下旬、タオル隊の松平さんから連絡があり、何度目かになる石巻入りをなさるとの事。 周りでタオルを必要としているところが無いかとたずねられました。

いくつか声を掛けましたが、その中で現在も中規模の避難所になっている私の母校、貞山(ていざん)小学校に伺ったところ、保健の先生のお話では、保健室も(というか1階全て)水没したのでストックも無いと言う事でした。

6月2日、松平さん達タオル隊が石巻入りし、他にアポを取ってあった数箇所とあわせ貞山小学校にもタオルを届けに行きました。

その時のタオルは、北海道連盟から届いたもの。「名入り」、「無地」、「色物」、「キャラクター」、そして「バスタオル」or「タオル」など、とても分かりやすく仕分けもしてあり、その中からバスタオルとタオルを各5箱ずつお届けしました。

私は(社)石巻災害復興支援協議会でお手伝いをしていますが、6月10日に、ちょうど貞山小学区の調査を頼まれたので、ついで再度様子を伺いに行きました。そうしたところ、実家の被害が大きかった児童や 教師などにも分け、学校ですぐに使う分ではけてしまっ たとのこと。

松平さんからは、他に必要なところが見つかったときや、足りないときのため、多めに下ろして貰っていた分が有ったので、すぐにそこから3箱ほど届けました。私の留学生の友達が送ってくれた、食器用スポンジと洗剤も少しですが一緒 にお渡しました。その際に、是非、何らかの形でお礼をしたいとのお話をいただき、北海道連盟事務所と、私の連絡先をお伝えしました。

そのような流れがあって、今回、こういったお礼状が届きました。

日々の生活の改善にまだまだ追われている中で、こういった形にして、感謝のメッセージをいただけると言うのは大変嬉しいことだと思います。私は必要な場所への橋渡しをしただけですが、震災後すぐに動いてくださり、物資の提供や収集だけでなく、とりまとめやら運搬やら…多くの関わってくださった方々がいらっしゃいます。

そういった皆様に、タオルを受け取った被災者を代表する感謝のメッセージとして、ご紹介できたらいいのでは?と思いこうして連絡致ししました。

                                         石巻第6団 五十嵐麻依


貞山小学校からの御礼状と生徒からのお手紙

             備考: 画像をクリックすると拡大が見れます。また、生徒からの
                 手紙では生徒の氏名を削除しています。

  
  



2011年5月28日土曜日

たい焼き隊0522(第四陣)からの報告

たい焼第四陣は、5月23日(月)から25日(水)までの3日間の日程で奉仕活動を行いました。

今回のたい焼奉仕では、これまでの一日200枚の倍となる400枚を作成して、被災地の皆さんに提供しました。

これまでの、第四陣の報告書(PDF)。

みんなの笑顔

   ●スカウトたい焼き隊第四陣通信・第4号(5月26日)
   ●スカウトたい焼き隊第四陣通信・第3号(5月25日)
   ●スカウトたい焼き隊第四陣通信・第2号(5月24日)
   ●スカウトたい焼き隊第四陣通信・第1号(5月23日)

(歌手の小林幸子さんと)
         
  
      過去の報告書:
          ★ たい焼き隊0514(第三陣)からの報告
          ★ たい焼き隊0424(第二陣)からの報告
          ★ 鯛焼き奉仕隊0410は任務終了(4.16:第2弾追加)  

たい焼き隊0514(第三陣)からの報告


これまでの、第三陣の報告書(PDF)。
スカウトたい焼き隊第三陣通信・第五号(5月15日)
   ●スカウトたい焼き隊第三陣通信・第四号(5月14日)
   ●スカウトたい焼き隊第三陣通信・第三号(5月13日)
   ●スカウトたい焼き隊第三陣通信・第二号(5月12日)
   ●スカウトたい焼き隊第三陣通信・第一号(5月11日)

          

      過去の報告書:
          ★ たい焼き隊0424(第二陣)からの報告
          ★ 鯛焼き奉仕隊0410は任務終了(4.16:第2弾追加)  

2011年5月19日木曜日

(参考)こどもわくわく隊第1回派遣のビデオ


こどもわくわく隊 第1回派遣のスライドビデオを紹介します。4月29日から5月5日の期間、2回に分けて、わくわく隊が被災地で子供たちを対象にした活動を行いました。


(上記が表示されない場合は、こちらをクリックして下さい。)

タオル輸送隊2便通信

 「こどもたちに笑顔を!」 

タオル搬送隊2便&4便・隊長松平@横浜115です。

きっかけはタイヤキ隊で入った現地の惨状。私に出来る事?月島の倉庫のタオルがあった。

当初乗員2名、前日になり乗員4名となった。全て未成年。原隊の許可&保護者の許可を条件に同行。一言。我々は見学者ではない。物資を積んでいる。物資を待っている人に届ける義務がある。(集めた人にも。)

未成年を同行させた事については賛否両論あると思う。でも、現地を見て、彼らが何かを感じてくれれば、私は満足。きっと彼らなら、何かを始める。

4月22日(金)~23日(土)

タオル&バスタオルを衣装ケースで25箱搬送しました。搬送先は、石巻6団関連2箇所で10箱、牡鹿半島避難所4箇所で15箱。

眼科さんは見た感じでは普通に見える。但し、道、道、道、に「がれき」。

湊田町の配給所

この一帯は水が2階ギリギリまで上がった所。1階がドロドロの状況。配給所にて相談したら、石巻6団の方がおられました。蟻坂団委員でした。そこからの話が早い。同じちかいをたてた仲間。物資を渡し、番号交換をして、後日の再開を約束した。三指敬礼で送り出しして頂いた。(格好よかった。)

そして牡鹿半島の避難所(4箇所) 詳細はスカウトたちのレポートに託す。



4/22(金)夜から4/24(日)未明のタオル搬送隊2便参加者からの声

関東地区ローバースカウトA


自分が今回、被災地に行ってまず気になったのは町中磯の香りでした。津波ていうの理解はしていたが、実感はしていませんでした。

1件目に救援物資を届けた場所は、遠くから見るだけなら、結構きれいでした。ですが近くで見ると1階にあった家具の残骸が近くに所狭しと積んでありました。ですがこの場所は海とは何キロも離れているいる場所で、まだましなところでした。ここら辺は2階が大丈夫で、みんな自分の家で暮らせていけるからです。

2件目の場所は1件目よりひどく家が崩れていたり、1階部分が柱を残してなくなっていたりしていました。その後にタオル配ったのは全部海沿いの高台でした。海から数百メートル離れたところでも差がかなりありました。見える景色一面瓦礫だけで、よくて家の左側が抉れていたり、かろうじで面影があるところでした。家の屋根だけ地面に置かれているところもよくありました。でもほんの少し高台に行くだけで被害が全然違いました。

家も全壊しているのはなく少し壁がなくなっている程度でした。非難所について:物資を受け取る人としたきちんと会ってはいないが、物資集積所のリーダー年をとっているひとが多くて大学生とかの若い人は見かけませんでした。

関東地区ローバースカウトB

私は4月23日から24日にかけて、被災地に直接物資を届けるという手伝いをしました。主な物資はタオルや子供向けの絵本や玩具である。また、地域は石巻から牡鹿半島だった。3月11日の大震災以来、毎日TVで放送されている被災地に赴くことができたのは、自分の考え方を変えるよい経験になったと思っている。

まず、現地石巻に到着して目に飛び込んだのは家財の山であった。津波で使えなくなった家財が町のあらゆるところにに山のように高く盛りあげられていた。そして車から降りた瞬間には生臭い異臭。これもすべてが生みに浸かったというまぎれもない津波の傷跡であった。

これらの現状は「今自分が立っているのは数ヶ月前に大災害にあった土地」という認識を強め、その風景には宮城が津波に飲み込まれるTV中継の恐怖も再び思い出した。石巻から牡鹿半島へ向かう途中も悲惨な状況だった。

大きな国道沿いもほとんどの建築物が半壊、もしくは全壊していた。港町に至っては船も反転し、家も殆どが全壊であり、いまだ遺体捜索を行っていた。3月11から一ヶ月以上たち、ある程度の片付けは進んでいるのだろうかと考えていた私は、鳩が豆鉄砲を食らったようだった。

しかし被災地での印象はこの惨状だけではなかった。現地でタオルを配っていくと、被災者の方たちはが協力して生活しあっているのを何度もみかけることができた。家も服も全て流され、いまだに大きな余震もくるような土地。また大津波や大地震がきたらひとたまりもないであろう土地で、被災者の方たちは強く結束しながら生きているように見えた。自分が家族も家も全て流された・・・と思うとここまで気丈でいられるかどうか分からない。また途中途中みかけたあの笑顔も、自分だったら無理かもしれないと思った。

この惨状に対し、この被災者の方達の強さ。宮城ではこれらを目の当たりにして、微力ではあるが自分に出来ることはなんでも、もっとたくさんしていきたいと感じた。そして数年後には被災地ではなく、行楽地として宮城へ赴き、現地でスカウトキャンプを行い、もっとたくさんの笑顔をこの目で見たいとつよく感じた。



関東地区ローバースカウトC

3月11日、地震が発生し、日本中の生活が一気に通常から異常に変わった。テレビでは常に被災地の映像が流れ、まるで映画のような世界を、映画やドラマのようにただ見つめるしか出来なかった。

しかし今回被災地に入り、その惨状さを肌で感じた。少しずつ瓦礫が増えていき、道が水没していたり、車がプールに入っている姿を見ていき、ついには家と思われる柱だらけになっていった。けれど私は特に怖いだとか、不安になったりはしなかった。

1番怖いと感じたのは、帰宅後、お風呂に入ろうとした時だった。いきなり今さっきまで平気で直視出来ていた被災地の情景がまぶたの裏に出てきては消え、ぞっとするような肌寒さを感じた。今思うと、あまりの悲惨に、私は、現実として受け入れることができていなかったのだ。

日常、頼もしく感じている消防車さえもぐちゃぐちゃにされているという現実を、私は車の中から眺めながら、アトラクションのように感じていたのだろうし、そうしなくてはあまりにも衝撃的で、耐えられなかったのだろう。そして、私が現実を受け入れることができなかったもう1つの大きな理由は、現地の方々の気丈さ、普通さもあると思う。

テレビ等でもよく言われているが、現地の方々は文句1ツ、嫌味1つ私たちにかけることなかった。むしろ、遠くからよく来たね、大変ね、気をつけて、だなんて逆にこっちが心配されて、拍子抜けしてしまった。どうしてそんなに強いのだろう?と思っていた私に、赤十字のテントを建てた避難所の中の1人、女性の方が、「生きていられるのだから、家がなくなってもなんとかなる」と言ってきた。本当は苦しいだろうに、それでも平気そううにハッキリと、彼女に言わせた何かを知りたいと思った。残念ながら今回は時間がなくて彼女からもっと話を聞くことはできなかったが、次また会う機会を何とかしてつかみたいと思う。

今回、石巻に行って、私は今の自分が抱いている悩みのちっぽけさを感じた。そして、私たちが今1番何をすべきかを考えた時、「命を無駄にしないこと」だと強く思った、1分1秒、というと少しおおげさかもしれないが、毎日を大切に生きること、今日を生きられることがあたりまえではないことを自覚すること、これこそをが私たちがやるべきことだと確信した。




2011年5月2日月曜日

(参考)マスコミ取材:こどもわくわく隊


県央地区、赤いキャップのこどもわくわく隊活動の様子が、産経ニュースに載っていました。

本日(5/1)に第一陣が解散。

明日から、第2陣が活動を行います。




http://sankei.jp.msn.com/life/news/110430/trd11043020380007-n1.htm

2011年4月30日土曜日

(参考)県央の「こどもわくわく隊」活動開始

連休に入り、被災地への支援活動が活発になっています。

県央地区では「こどもわくわく隊」を企画、4月29日から連休期間中、2回に分けて20名の奉仕隊が参加します。また、現地からも応援で10名が、このプロジェクトに参加します。

活動の報告は、次のBlogで紹介されています。

   http://blog.goo.ne.jp/fkd5155



(こどもわくわく隊案内の抜粋)

ボーイスカウト神奈川連盟 県央地区 災害支援チームは、今回の大震災にあたりボーイスカウトとして出来る活動を行いたいと考えました。

初動では、義捐金募金活動を、地区内各地で実施をさせていただきました。

そして、中越沖地震の時の、被災地のこどもの為の活動の経験をいかし、こどもの笑顔をとりもどす活動をしてゆきたいとおもい、

「県央こどもわくわく隊」の活動を実施することになりました。

第1弾として、4/29~5/1、5/3~5/5の2回にわけ、
被災地での活動をおこないます。

その活動の様子を、お伝えしてゆきたいと思います。

2011年4月29日金曜日

たい焼き隊0424(第二陣)からの報告


日連の石巻ベースは、ボーイスカウト石巻第6団のご協力により、24時間通電が可能になったとの報告です。



   これまでの、報告書(PDF)


   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第七号(4月29日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第六号(4月28日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第五号(4月27日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第四号(4月26日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第三号(4月25日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第二号(4月24日)
   ●スカウトたい焼き隊第二陣通信・第一号(4月23日)


4月24日に出発した、第2陣の「たい焼き隊」は、被災地の方々だけでなく、ボランティア奉仕の皆さんからも大人気です。 被災地で頑張っているボランティア奉仕の方々への皆さんからの応援は、右の「横浜南央地区災害支援チーム掲示板」のスレッド「鯛焼き奉仕隊の現地報告」に投稿下さい。

2011年4月25日月曜日

4月24日たい焼き隊第二陣出発

子供たちをはじめとする被災地の皆さんの笑顔をたくさん頂いた「たい焼き奉仕隊」の第2陣が、4月24日から約2週間の予定で出発、現在、石巻に向かって北上中です。

みなさまからの応援とご協力をお願い致します。詳細は、右の横浜南央地区災害支援活動の掲示板(BBS)に掲載しますので、「たい焼き隊」への応援などコメント欄に投稿下さい。

また、先週末行われた、鎌倉長谷での災害支援活動の展示の様子を紹介した、「スカウトたい焼き隊第二陣通信・第二号」が発行されました(左のリンクからPDFファイルの報告書をダウンロード意して下さい。)

2011年4月16日土曜日

鯛焼き奉仕隊0410は任務終了(4.16:第2陣追加)


2011410日(日)~416日(土) 
宮城県石巻(専修大学)ボランティア・センター周辺

東日本大災害直後、即に日赤防災ボランティアとして被災した現地に入り、その悲惨な状況を目の当たりにし、被災者に対する心のケアを願い、今回、「子供たちに笑顔を」を合言葉に、たい焼き奉仕隊を結成。不自由な避難生活をしている子供たちや避難者の方々に、甘いたい焼きを届けると共に、ボーイスカウト災害ボランティア(東京周辺のローバー・グループ)が集めたタオルと激励メッセージ、そして横浜南央地区ユースが寄せ書きをしたスカウト・チーフを持参しました。


【鯛焼き奉仕隊の報告書】
報告書は、今回の鯛焼き奉仕隊チームメンバの茨城県連盟つくば第1団 柏原一仁さんが作成。
毎日、活動で疲れているにも関わらず、石巻ベースに戻ると毎晩すぐに報告書を作成し、後方部隊
に送付。それを随時、右の災害活動掲示板にアップしました。上のリンクから報告書(PDF)をダウン
ロードするか、右の掲示板スレッド「鯛焼き奉仕隊の現地報告」をご参照下さい。


【タオル・プロジェクトの成果】

  関東地区のローバーが中心となって集められたタオルと、激励の声援メッセージを衣装
  ケースに詰めたもの17箱を、次のスケジュールで避難所の方々などへお渡しをしました。

   月曜  三郷1団

   火曜  三郷1団、甲府10団
  
   水曜  世田谷4団、世田谷10団、甲府10団、未記入団

   木曜  三郷1団、三郷1団、未記入団、甲府10団、甲府10団、大和郡山1団

   金曜  甲府10団、甲府10団、甲府10団

   ベース 残1



【ご連絡】

今回の鯛焼き奉仕隊のチームが戻り次第、現地の詳細情報を元に、第2弾の鯛焼き奉仕隊参加メンバを募集します。別途、ご案内をこのサイトでお知らせします。 

今、自分たちが出来ること。 たくさんの子供たちに笑顔を持ってもらうこと。 それには、なにが出来るのかを考えみましょう。 

一緒に頑張る声援を。 Never Give Up 決してあきらめないことを。そして、いつもそばにいることを。 この思いを届けましょう。

また、自分たちで考えた活動が、一回だけで終わらせない為にも、みなさんの協力と支援が必要です。

2011年4月14日木曜日

鯛焼き奉仕隊0410の現地活動は残り1日

奉仕隊からの報告書(PDFダウンロード)

たい焼き奉仕隊も、現地の活動4日目が無事に終わりました。

明日は、今回の活動の最後の日になります。 奉仕隊のメンバも疲れがたまって来ていると思います。右の掲示板にて詳細報告を見ることが出来ます。

後もう少しですが、奉仕隊のメンバに、掲示板から激励の投稿を出して、応援をして下さい。


2011年4月12日火曜日

鯛焼き奉仕隊0410の2日目始動

奉仕隊からの報告書(PDFダウンロード)



起床5時にて、奉仕隊は2日目の活動を開始。8時半に出発をしました。

詳細は、右の横浜南央地区災害支援チーム掲示板にて参照下さい。随時、現地からの報告を掲載します。

被災地の方々への声援メッセージ
昨日の状況から、もっともっと
たくさんの激励を届けたいとの連絡

手書きの声援メッセージを募集しています!



昨日訪問の避難所の皆さんからのメッセージ

2011年4月11日月曜日

県央「こどもわくわく隊」の現地調査の写真がアップされました

(ご参考:土日の日程で、塩釜、石巻を回って来た現地調査隊です。報告は、別途準備中だそうです。)

*************

現地調査の様子を地区HPにアップしました。

http://www.bskanagawa-kenoh.org/14_sien/110409-10/index.html

鯛焼き奉仕隊0410は現地活動開始

昨夜、被災地の石巻VCに到着した「鯛焼き奉仕隊0410」は、一夜明けた今日から現地での活動を開始します。まずは、周辺の様子から報告が入って来ました。細かな活動の様子は、右の「横浜南央地区災害支援チーム掲示板」のスレッド「鯛焼き奉仕隊の現地報告」にて掲載します。こちらには、報告のサマリーを掲載。



      ダウンロード: 鯛焼き奉仕隊0410からの報告レポート(PDF)

(写真説明)

激励文たくさん書き込んだ支援隊のトラック車両


日本連盟現地本部発見。


07:00 日本連盟現地本部へ移動しました。


石巻ボーイスカウト日本連盟現地対策本部で、とりあえずチーフを職員に披露しました。
避難所へ持って行きます。

*********

【連絡事項】
 
  激励メッセージがもっと必要です(手書き)。第2陣にむけて、準備をお願いします。

2011年4月10日日曜日

鯛焼き奉仕隊0410はタオルを積み込み北上中

今日の早朝、横浜を出発した「鯛焼き奉仕隊」の第1陣は、ボーイスカウト災害ボランティアのチームが集めたタオルを月島と三郷で積み込み、被災地の石巻に向かって北上中です。

行動班からの報告は、掲示板の方で、随時紹介しています。

タオルは、想像以上の、計17箱を積み込んだとの報告です。

 

掲示板は、左のリンクか、次をクリックして下さい。

掲示板スレッド: 鯛焼き奉仕隊の現地報告

2011年4月9日土曜日

被災地現地からの報告(仙台:長草さん)

Sent: Saturday, April 09, 2011 5:33 PM
長草です。

おとといの夜の余震の影響で昨夜までは停電しておりました。

余震とは思えない大きな揺れでした、昨日も勤務先での安全点検等で出社してきましたが、事務所の天井が落ちたり会議室の壁が倒れたりしていました。

こちらの地元報道で120人を超える負傷者や停電のために酸素吸入機が止まり無くなった方など被災地の多くの方々には大変な状況になっています。行政の職員の方たちは非難所の対応で自分の家族を捜す事も出来ず、また食料も非難している人たちを優先して自分たちの分を削り配給がされているのでしょう。休む間もない職員の方たちへの支援も忘れては行けない事だと思います。まだまだ支援の配給も遅れていたりといった実情は深刻です。

先日の余震による停電でようやく回復しかけていたガソリンスタンドが閉店してしまったりしています。ガソリンスタンドの営業情報(各社サイトがあるようです)まとめたのを入手しました。現地に支援に行かれる方たちに公開して頂ければと思います。被災地は通信が不安定でネットが使える状況かが確かではありませんので。よろしくお願いします。


P.S
国道4号より内陸側の方が被害が小さいので物資は入手しやすいようです。

2011年4月2日土曜日

【必読】被災地からメッセージ(子どもたちの笑顔のために)

ハンドルネーム加賀の国さんの記事を転載させて頂きました。

出典: ボーイスカウト応援団 加賀の国さん (詳細は、次のバナーをクリック)



私たちボースカウトは、誰を育成するのでしょうか?
誰のために活動しているのでしょうか?
子どもの育成団体と言っているんでないでしょうか?
被災地の子どもたちを憂いて行動しなくてはならない時。

心の支援をしている団体にならなくてはいけない時!

思いやりのある行動が必要!

グリーンリボン支援作戦「子どもたちに笑顔を」
作戦指令:被災地の子どもたちに文房具を送ろう


http://boyscout.sns-park.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=14474

カンビーさんがmixiに掲載されたものです。

タイトル「子どもの欲しいもの」

以下原文


七ヶ浜町では被災した子供たちを対象に子供の居場所活動を行っています。

今日担当課長に報告しているのを聞き耳を立て、どのような活動がなされているのか伺いました。

支援を担当しているのは「ここねっと発達支援センター」の理事長さんで元中学校の先生です。

お話の中に子供のニードを聞いているという話がありました。
遊んで、笑顔が出ればいいではない。プログラムに基づいて支援をしていくのです。

そう報告をしている横から「先生?何か必要なものがありますか?」と声を挟みました。
そうしたら私の方を振り向いてにっこりと笑って、「物ではないんですよ。心なんです。」とおっしゃいました。

「ノートも鉛筆も避難所にはあるんです。でも与え方が違うんです。『ほしい人貰って行って下さい』それでは意味がないのです。自分の心からほしいものではないから。」

子供に何がほしいか書いてもらうプログラムをするんです。
「何でもいいからほしいものを書いてごらん」そういうと、夢中になって書き始めるのです。もちろんそれを書いてもいいというだけの信頼関係ができているからです。

そうするとみんな一番は「家」と書くのです。
次にぬいぐるみは人気がありますね。

そして実にいろんなサインを出してくれます。
お話するとお母さんの欲しいものだったということが分かったりして。
疲れているお母さんのためになんてね。

私たちのところにも多くの物資が届いています。
その中で子供一人ひとりのニードとマッチングして物を渡せば、ほんとうに大切にしてくれるんです。

ある子は、『僕はDSさえあればいい』なんて言っていたのに、
次の日に彼がほしいと書いたものを持っていったらDSを忘れていったんですから。

あとはね、「自由」ですね。「自由」って何だかわかりますか?
話しちゃいますね。「自由って自分を好きになること」なんですよ。
自分を好きでいればどこに行っても何をしても自由なんですよ。

こんな風な取り組みをすれば、PTSDにならないと思いますよ。
多くはね、5年ぐらいすると来ますから。
中越地震のときにはできなかった取り組みです。
行政の後押しとNPO,保護者。
それがここではできているのです。
この取り組みはよそのモデルになることです。

短い時間の中で、素晴らしいお話が聞けました。

私たちが何かしなければと焦る気持ちを超えて、心の支援をしている団体に、拍手です。


私たちは、重機を扱って片付ける部隊ではありません。

子どもたちの育成団体ではないんでしょうか?
まさに、心の支援をしている団体にならなくてはいけない時です。


読まれて、感じたこと、気付いたことはすぐ実行、実践です。